koshika

猫好き太めのピアニストの思いつくままに

羊と銅の森

感動でした。

 調律師さんに色々教えて頂けるようになったのは、つい15年前程から。

それまではヤマハの調律師が来てくれていたのですが、ただ音を合わせていただけ。

今の調律師さんはまだ若いのだけど、家族全員調律師で、そのご両親様と先に知り合ったので、お二人からも色々本当にたくさん教えて頂きました。

 あ、羊と銅の森は調律師さんを中心としたお話です。f:id:ponyo_piahict:20160703002836j:plain

そうそう!!と納得することや、恥ずかしながら知らなかった事や、自分の甘さや、またまた、まだまだ学びの日々です・・・

いい歳しているのだからいい加減他人さまからもう学びはなくてもいいでしょうに。。。それがまだまだな年寄りでして。

というか、本当に音楽を専攻してピアノを生業としているのに、ずーっとお気楽に過ごしていたり、無知でいたり、追及が甘いまま過ごしてきたので、スタートが他の人より遅いのです。

 いつも書いているけれど、弦を感じる事の大切さや、音に集中する当たり前の事や、ピアノを慈しむ、作曲家を慈しむ、反響版を意識出来る、様々な事が書いてありました。

 作家さんて本当にたくさん勉強してますね~。

作家さんだけじゃないですね。添乗員をしている知り合いも、本当にありとあらゆる事を読んで学んで、お客様に説明しているし、あ~、やる事はたくさんあるのに、なかなか進みませぬ。

だから学生時代にやっておきなさい!!!

ただ、平和に居たいだけなのになぁ

憲法改正がどうの、じゃなくて、右寄りだの左寄りだのじゃなくて、ただ、戦争になって欲しくないだけなのになぁ、ただ平和な世界に居たいだけなのになぁ。

そんな甘いこと、じゃなくて、戦争をしない国があってもいいのになぁ、自国の利益のために他国で戦争をするって変だと思ってるだけなのになぁ。

100パーセント完璧な国なんて存在しないのだから、だったら戦争しない国があったって良いと思うだけなのになぁ。

弦の長さを感じて弾く

       弦が長いほど弾きやすかった

くぐもった音をどこかで聴いた。どこだっけ?と思い出していたら、ひと月ほど前の知り合いの演奏会だった。

私の耳が悪くなっているのかと不安な今だけど。音を聴き分ける耳と加齢による耳の衰えと、いずれにしても恐怖ですが。

それはスタンウェイでしたけれど、先日と同じく高音が特にくぐもっていた。

低音の方が弦が長いから高音に比べたら響いたのかもしれない。ピアノの問題か、私の耳の問題か、演奏者の問題か・・・

ピアノは鍵盤から直接音は出なくて、たくさんのアクションを通じてハンマーまで伝え、ようやく弦を鳴らす。だから弦を感じて鍵盤を下ろさないと出したい音は出ない。解っちゃいるけど~;

弦をなるべく直接鳴らすんだ!と思って鍵盤にやりたいことを伝えないと音楽になりにくい。弦を感じない演奏は音楽が狭くなる?拡がりは感じられないと思うし、深さも減ってしまうと思う。

弦で響いた音は反響版からホールの天井へと運ばれる気がする。そして客席にシャワーの様に降り注ぐ。ある時は力を増して、ある時は光を放ち、ある時は羊毛で包まれるかのように。

一流のピアニスト達はあらゆる感触の音をホールの空間に与えくれる。

 私もそんな風に演奏したい===!!!

やっぱりベーゼンは難しいのですね;

f:id:ponyo_piahict:20160628004435j:plainこれはベーゼンのホームから持ってきちゃったのだけど、ルーテル市ヶ谷ホールでの響きを聴いての感想です。

 私も歌の伴奏で演奏したことがありますが、その時はスタインウェイをチョイスしました。

歌には良い響きのホールだった記憶があり、伴奏は楽しかったです。

今回聴いたプログラムがスタインウェイの方が向いている内容が多かったのでさらに気になったのだと自己分析。

ベーゼンでのバッハはやはり良かった~。ベートーヴェンも思いきや、ベートーヴェンも前期でないとまた違うのですね。とは言え、いずれにしても演奏者が弾きこなせないのでしょうか、ホールの響きとは違うピアノ自体の響きなのかしら?くぐもって聴こえるような・弦の長さを感じられないというか・細かいパッセージは弾きにくそうに感じましたし。

かといって全てではなく、スケールはとっても軽やかで素敵。演奏者の表現力もあったので、やはりスタインウェイだったらきっともっと楽そうに演奏していたのではないかしら、と感じました。

ベーゼンは、やりたいことをとってもわかってくれて、何にでも答えてくれる気がします。ただし、間違ってもハイフィンガー等したら言う通りなんてならないでしょうね。手首が下がって指で無理やり持って行こうとしてもやれるものならやってごらんなさい、なんて感じかな?

弦を感じて鍵盤に優しくしかし確固たる意志、手のひら、そして緩まない手の甲、上半身からの伝達をきちんと伝えてやらなければきっと、答えてくれない。と、思う。

だから、ベーゼンを聴いたホールで私も試してみたい=!聴いて色々感じられるのに、演奏は絶対難しく出来ないんのでしょうね。実際、試弾ではベーゼン良いな~って思って選ぶのよね。ところが、本番になり、客席での鳴りは弾きながら聴くのとは大違いになっているでしょうから。

素敵なホールで、ベーゼンドルファーとベヒシュタインを弾き比べてもみたい!!

夢多きおばさんであった;

 

強くなれる気がする、強くなりたいと思った出来事

強くなる

4月1日門下会

去年の暮れから義理の母が入院して、結果老衰になり、時を待つばかりの3月、今度は私の母が無顆粒球症で緊急入院となった。

薬の影響、飲まなくていい薬を飲み続けた結果だろうとの見解。入院なんて80歳の今までしたことなく、高齢者によく起こるらしいし、高熱が続いたこともあるでしょうし、無菌室で一人になってしまったのもあったでしょう。一過性の痴ほう症になり、一過性でほっとしたけど、当初はこのまま痴ほうになってしまうのかと本当に辛かったが、治ってきた時に本人が、痴呆の時の記憶もはっきりしていて、自分でおかしくなっていたんだ、と気づいたとき、もっと強くならなきゃ!というのを聞いて、母に似ている私も、強く思った。

精神的に強くなっていないと、子供のいない私は老後母のように入院したとき、自立できないとダメだ。と。

そして、母の病院通いからようやく退院となって、後、2週間で門下会の本番。

いつも暗譜が問題児の私、2週間では無理、と思いきや、1年以上前からパラパラ弾いていたので何だか覚えられた!でも、前日にはやはり粗が出て来て、当日は楽譜を見ようかと直前まで悩んだが、こんなことでは何年たってもリサイタルなんか出来ない!伴奏での評価は頂けているが、ソロでリサイタルを行う事が目標で、教える仕事を減らして早4年経つのに!強くならなかったら一生夢で終わってしまうし、いつも言い訳をしながら弾けない、と言うことをまた続けてしまうではないか!

そして本番、ぽろぽろ嘘を弾いてる個所はあったけど、門下の子たちからしたらいつもの私のぽろぽろだけど、だけど、師匠とそして私自身はやればできる!よく2週間でここまでやった!の思いでした。

自分に強さを求める大切さ、言い訳しないと成長と自信に繋がることを実感できた2つの出来事でした!!

もっともっと練習して今年は絶対にリサイタルをやります。

 

安保法案?憲法改正?

報道ステーション

いつも納得のコメンテーター。

 

私利私欲、自らの恨みつらみで憲法改正されたのでは国民はかなわない!

国民を国家を私物化するのもいい加減にしてくれ!

何十年の一党独裁国家。個人か、一族か、1党かの違いだけで独裁国家には変わりはない日本を国民は理解していますか?

アメリカの言いなりの属国、

 

と、ここまで書いて3か月が経つ。

4月からの報道ステーションは観ていない。故意ではないが。

政治資金規正法も安保法案も作る側の利益優先にしか出来ていない。

何も変えられない変わらない。

 

現代音楽内部奏法について思った事

現代音楽の演奏会に行ってきた。

世界中どこでも、ワールドピアニストになることは本当に大変だし稀なことだと思います。でも皆プロの一流のピアニストになりたいと夢を抱いて日々精進しているのでしょう。

本日の演奏者も本当に現代音楽が好きなのだろうとは思います。委託作品の感動もあると思います。それによって注目をされることも、クラシックだけの演奏家よりは増すことはあると思います。

今日のコンサートに行って認識したことは、現代音楽はクラシック音楽とは別物だと言う事です。

同じステージでクラシックファンに向けて演奏するのではなく、ジャズや演歌のように、現代音楽というジャンルを別に設けて、現代音楽ファンが聴きに行けたらベストだなと思いました。

ピアノの弦を直接はじいて音を出していましたが、ならば、弦楽器と音が変わらなくなり、ピアノ特有のハンマーから弦を響かせる、これぞピアニストによって音色をコントロール出来る聴かせどころ、の面白み、聴きどころ、醍醐味がなくなりました。

ピアノは、アクションをいかに自分のものとしてコントロールしてハンマーに伝える事、演奏者の体をコントロールして弦に伝えるか、がテクニックの一つだと思うので、クラシック作曲家の意図と違う使い方をするのであれば、ピアノを発明した人の意図と違う使い方を進化と言うならば、それはすでに別物になると思う。

少々しんどくなり、さらにコンサートとブッキングの野球があったので最後まで聴けなかった以上意見は抑えなくては、とは思いつつも、なぜか会場を真っ暗闇にして、演奏者はなにやら暗闇でも見える眼鏡をかけての演奏でした。

私以上に具合の悪くなってしまった方がいて、会場外でぐったりしていました。

あの暗闇は息苦しくなるのですが、圧迫感の計算はせずままにコンサートは企画されたのでしょう。

若い時は私も、他の人と違う事が優越感だったりしたこともありましたが、年寄りになり、他の人と同じでも違っても好きなものは好き、合わないものは合わないと思えるようになりました。若い演奏家達が頑張って、己の道を拓こうとすることは素晴らしいことなので、余計に、現代音楽のコンサートはジャンルを分けて欲しいと思いました。