koshika

猫好き太めのピアニストの思いつくままに

現代音楽内部奏法について思った事

現代音楽の演奏会に行ってきた。

世界中どこでも、ワールドピアニストになることは本当に大変だし稀なことだと思います。でも皆プロの一流のピアニストになりたいと夢を抱いて日々精進しているのでしょう。

本日の演奏者も本当に現代音楽が好きなのだろうとは思います。委託作品の感動もあると思います。それによって注目をされることも、クラシックだけの演奏家よりは増すことはあると思います。

今日のコンサートに行って認識したことは、現代音楽はクラシック音楽とは別物だと言う事です。

同じステージでクラシックファンに向けて演奏するのではなく、ジャズや演歌のように、現代音楽というジャンルを別に設けて、現代音楽ファンが聴きに行けたらベストだなと思いました。

ピアノの弦を直接はじいて音を出していましたが、ならば、弦楽器と音が変わらなくなり、ピアノ特有のハンマーから弦を響かせる、これぞピアニストによって音色をコントロール出来る聴かせどころ、の面白み、聴きどころ、醍醐味がなくなりました。

ピアノは、アクションをいかに自分のものとしてコントロールしてハンマーに伝える事、演奏者の体をコントロールして弦に伝えるか、がテクニックの一つだと思うので、クラシック作曲家の意図と違う使い方をするのであれば、ピアノを発明した人の意図と違う使い方を進化と言うならば、それはすでに別物になると思う。

少々しんどくなり、さらにコンサートとブッキングの野球があったので最後まで聴けなかった以上意見は抑えなくては、とは思いつつも、なぜか会場を真っ暗闇にして、演奏者はなにやら暗闇でも見える眼鏡をかけての演奏でした。

私以上に具合の悪くなってしまった方がいて、会場外でぐったりしていました。

あの暗闇は息苦しくなるのですが、圧迫感の計算はせずままにコンサートは企画されたのでしょう。

若い時は私も、他の人と違う事が優越感だったりしたこともありましたが、年寄りになり、他の人と同じでも違っても好きなものは好き、合わないものは合わないと思えるようになりました。若い演奏家達が頑張って、己の道を拓こうとすることは素晴らしいことなので、余計に、現代音楽のコンサートはジャンルを分けて欲しいと思いました。