koshika

猫好き太めのピアニストの思いつくままに

半世紀も生きるとこんな事があるって若い時には思いもせず

とっても優しい友人、私はその優しさに憧れている、友人が離婚しました。5年越し、ようやく受け入れて子供2人抱えて離婚しました。

去年、高校生の頃片思いだった友人が他界しました。私は女の子らしくないので誰も気づいてはいませんでしたが。ずっと片思いでした。でも、告別式で彼は家族と仲良く幸せだったと知り、とっても安心しました。

20代の頃同じお教室で働いていた方が嫁ぎ先のお舅様がADHDで、外出を許されず買い物も行くことも大変で、息子さんがやはり学習障害で、嫁いで30年近く、最近やっと穏やかな日常になったと言ってました。

この2日間、同門の人とメールしました。彼女はうつ病で通院しています。門下会でしか会わないけれど、もう30年来の知り合いです。去年はメールも大丈夫だったのに、今回はメールもままなりませんでした。練習中にメールを読んだらとっても悲しくなりました。

私も色々ありました。

 

最近ジ~ンとしちゃうのです。

 

もっともっと若い頃、自分がこんな人生になるって想像できもせず、思いすらせず、辛いことをその時は真剣に辛いと思っていたけれど、こんな人生になるって皆気づかずに生きていくんだなって。

どんな人生になるかは本当にわかりません。

だから、若い時は思いっきり生きて存分に生きて、充実させて欲しいとつくづく思うのでした。

 

私はこの数年分の苦労を爆発させて、今充実期に入っているのだ===!!!

選挙でした

時代が動くときは人間の意思では無いのかも知れないのかな。

経済の事はアベノミクスが良いの悪いのって微妙なところ、立場によってなのでしょうけれど、福祉にかけると言ってあげた税収は、どこに行っているのですか?

在宅介護が増えて、私の周りでも苦しんでいる介護者がたくさんいて、老人の医療費負担を増やすとか、無駄な診療を減らす事になって、私の母は、定期健診が減らされた際に無顆粒球症を発症してしまい、以前のままだったらもっと早くに発見できていたのに。

私の周りで改正で恩恵を受けているのは訪問看護が受けられる立場のお金と権力のある人です。小金持ちではダメですよ。

 

安保法案。憲法を変えるって、個人の名誉とかおじいさんが達成できなかったからとかで、今回の参院選の焦点ではありませんと言ってごまかして国民の議論も国会の議論も知らぬ顔で流せる簡単な事ではないと思うのだけど。

 

これもそれも、時代が動くときは、特に大戦が起こるような時には人間の力ではないのかも知れないね。。。

羊と銅の森

感動でした。

 調律師さんに色々教えて頂けるようになったのは、つい15年前程から。

それまではヤマハの調律師が来てくれていたのですが、ただ音を合わせていただけ。

今の調律師さんはまだ若いのだけど、家族全員調律師で、そのご両親様と先に知り合ったので、お二人からも色々本当にたくさん教えて頂きました。

 あ、羊と銅の森は調律師さんを中心としたお話です。f:id:ponyo_piahict:20160703002836j:plain

そうそう!!と納得することや、恥ずかしながら知らなかった事や、自分の甘さや、またまた、まだまだ学びの日々です・・・

いい歳しているのだからいい加減他人さまからもう学びはなくてもいいでしょうに。。。それがまだまだな年寄りでして。

というか、本当に音楽を専攻してピアノを生業としているのに、ずーっとお気楽に過ごしていたり、無知でいたり、追及が甘いまま過ごしてきたので、スタートが他の人より遅いのです。

 いつも書いているけれど、弦を感じる事の大切さや、音に集中する当たり前の事や、ピアノを慈しむ、作曲家を慈しむ、反響版を意識出来る、様々な事が書いてありました。

 作家さんて本当にたくさん勉強してますね~。

作家さんだけじゃないですね。添乗員をしている知り合いも、本当にありとあらゆる事を読んで学んで、お客様に説明しているし、あ~、やる事はたくさんあるのに、なかなか進みませぬ。

だから学生時代にやっておきなさい!!!

ただ、平和に居たいだけなのになぁ

憲法改正がどうの、じゃなくて、右寄りだの左寄りだのじゃなくて、ただ、戦争になって欲しくないだけなのになぁ、ただ平和な世界に居たいだけなのになぁ。

そんな甘いこと、じゃなくて、戦争をしない国があってもいいのになぁ、自国の利益のために他国で戦争をするって変だと思ってるだけなのになぁ。

100パーセント完璧な国なんて存在しないのだから、だったら戦争しない国があったって良いと思うだけなのになぁ。

弦の長さを感じて弾く

       弦が長いほど弾きやすかった

くぐもった音をどこかで聴いた。どこだっけ?と思い出していたら、ひと月ほど前の知り合いの演奏会だった。

私の耳が悪くなっているのかと不安な今だけど。音を聴き分ける耳と加齢による耳の衰えと、いずれにしても恐怖ですが。

それはスタンウェイでしたけれど、先日と同じく高音が特にくぐもっていた。

低音の方が弦が長いから高音に比べたら響いたのかもしれない。ピアノの問題か、私の耳の問題か、演奏者の問題か・・・

ピアノは鍵盤から直接音は出なくて、たくさんのアクションを通じてハンマーまで伝え、ようやく弦を鳴らす。だから弦を感じて鍵盤を下ろさないと出したい音は出ない。解っちゃいるけど~;

弦をなるべく直接鳴らすんだ!と思って鍵盤にやりたいことを伝えないと音楽になりにくい。弦を感じない演奏は音楽が狭くなる?拡がりは感じられないと思うし、深さも減ってしまうと思う。

弦で響いた音は反響版からホールの天井へと運ばれる気がする。そして客席にシャワーの様に降り注ぐ。ある時は力を増して、ある時は光を放ち、ある時は羊毛で包まれるかのように。

一流のピアニスト達はあらゆる感触の音をホールの空間に与えくれる。

 私もそんな風に演奏したい===!!!

やっぱりベーゼンは難しいのですね;

f:id:ponyo_piahict:20160628004435j:plainこれはベーゼンのホームから持ってきちゃったのだけど、ルーテル市ヶ谷ホールでの響きを聴いての感想です。

 私も歌の伴奏で演奏したことがありますが、その時はスタインウェイをチョイスしました。

歌には良い響きのホールだった記憶があり、伴奏は楽しかったです。

今回聴いたプログラムがスタインウェイの方が向いている内容が多かったのでさらに気になったのだと自己分析。

ベーゼンでのバッハはやはり良かった~。ベートーヴェンも思いきや、ベートーヴェンも前期でないとまた違うのですね。とは言え、いずれにしても演奏者が弾きこなせないのでしょうか、ホールの響きとは違うピアノ自体の響きなのかしら?くぐもって聴こえるような・弦の長さを感じられないというか・細かいパッセージは弾きにくそうに感じましたし。

かといって全てではなく、スケールはとっても軽やかで素敵。演奏者の表現力もあったので、やはりスタインウェイだったらきっともっと楽そうに演奏していたのではないかしら、と感じました。

ベーゼンは、やりたいことをとってもわかってくれて、何にでも答えてくれる気がします。ただし、間違ってもハイフィンガー等したら言う通りなんてならないでしょうね。手首が下がって指で無理やり持って行こうとしてもやれるものならやってごらんなさい、なんて感じかな?

弦を感じて鍵盤に優しくしかし確固たる意志、手のひら、そして緩まない手の甲、上半身からの伝達をきちんと伝えてやらなければきっと、答えてくれない。と、思う。

だから、ベーゼンを聴いたホールで私も試してみたい=!聴いて色々感じられるのに、演奏は絶対難しく出来ないんのでしょうね。実際、試弾ではベーゼン良いな~って思って選ぶのよね。ところが、本番になり、客席での鳴りは弾きながら聴くのとは大違いになっているでしょうから。

素敵なホールで、ベーゼンドルファーとベヒシュタインを弾き比べてもみたい!!

夢多きおばさんであった;

 

強くなれる気がする、強くなりたいと思った出来事

強くなる

4月1日門下会

去年の暮れから義理の母が入院して、結果老衰になり、時を待つばかりの3月、今度は私の母が無顆粒球症で緊急入院となった。

薬の影響、飲まなくていい薬を飲み続けた結果だろうとの見解。入院なんて80歳の今までしたことなく、高齢者によく起こるらしいし、高熱が続いたこともあるでしょうし、無菌室で一人になってしまったのもあったでしょう。一過性の痴ほう症になり、一過性でほっとしたけど、当初はこのまま痴ほうになってしまうのかと本当に辛かったが、治ってきた時に本人が、痴呆の時の記憶もはっきりしていて、自分でおかしくなっていたんだ、と気づいたとき、もっと強くならなきゃ!というのを聞いて、母に似ている私も、強く思った。

精神的に強くなっていないと、子供のいない私は老後母のように入院したとき、自立できないとダメだ。と。

そして、母の病院通いからようやく退院となって、後、2週間で門下会の本番。

いつも暗譜が問題児の私、2週間では無理、と思いきや、1年以上前からパラパラ弾いていたので何だか覚えられた!でも、前日にはやはり粗が出て来て、当日は楽譜を見ようかと直前まで悩んだが、こんなことでは何年たってもリサイタルなんか出来ない!伴奏での評価は頂けているが、ソロでリサイタルを行う事が目標で、教える仕事を減らして早4年経つのに!強くならなかったら一生夢で終わってしまうし、いつも言い訳をしながら弾けない、と言うことをまた続けてしまうではないか!

そして本番、ぽろぽろ嘘を弾いてる個所はあったけど、門下の子たちからしたらいつもの私のぽろぽろだけど、だけど、師匠とそして私自身はやればできる!よく2週間でここまでやった!の思いでした。

自分に強さを求める大切さ、言い訳しないと成長と自信に繋がることを実感できた2つの出来事でした!!

もっともっと練習して今年は絶対にリサイタルをやります。